何て優しい妻だろうと思った。だが、実はそうでは無かった。

40代 男性

2002年1月。父親が死んだ。
ある日、妻は母親が寂しいだろうと週末は二人の子どもを連れて実家に泊まってくるように勧めてくれた。
何て優しい妻だろうと思った。
だが、実はそうでは無かった。
とあることから私達が実家に泊まっている間に妻は息子のサッカーのコーチ(男)を自宅に連れ込んでいることを知ってしまったのだ。

私が言うのも何だが、私たち夫婦は人も羨むような、たいへん仲の良い夫婦だった。
少なくとも私は、そう思っていた。
それが、ある日突然。
晴天の霹靂とはこのことを言うのだろう。
ただ、思い返せば、思い当たる節はあった。
ある頃から、妻の態度をよそよそしく感じることが少なからずあったし、夫婦の営みも『疲れているから』との理由で、ずい分長い間遠ざかっていた。

この事実を知ったことは大きなショックだった。
よりによってうちの夫婦に限って・・・
と思いたかった。
悪い夢であってほしかった。
しかし、残念ながら悲しい現実だった。
それも息子のサッカーのコーチ。
中でも当時50歳手前のいい歳こいたオッサンにもかかわらず、ガラの悪いピアスを入れたり、髪を金髪にするなど私が最も嫌いだったチンピラみたいなヤツが相手。
こいつに『サッカー』とは言え、子ども達を指導する資格は無い。
強い憤りを感じた。
許せないと思った。
落とし前をつけてやる。
そう決心し私は行動を開始した。

ある週末、私は、いつも通り子ども達を連れて実家に泊まった。
自宅マンションに、ある仕掛けをして・・・
そして、夜中の2時頃、カメラ、ビデオ班を連れて自宅へ向かった。
案の定、男の車がガレージにあった。
それをビデオとカメラに収め、自宅へと向かう。
自宅の前につきインターホーンを押す。
中からの反応は無い。
鍵でドアを開けようとしたが、チェーンロックが掛かっていた。
二人は間違い無く中に居る。
そこで、予め用意してきた工具でチェーンを外し中へと入った。
真っ暗である。
リビングのドアを開け部屋の電気を点けた。
ソファーの上にバツの悪そうな二人が座っていた。
二人とも服こそ着ていたものの、妻は上下の下着が見えるほどに胸元が大きく開いた超ミニのワンピース。
私たちの襲撃前にどのようなことがあったのか容易に想像できるほどに、分りやす~い誘惑ファッションだった。
その後、当然のことながらヤツらと一悶着も二悶着もあった。
二人とも『何も無い。』と言い張った。
その一部始終全てをビデオとカメラに収めた。
そして、私が秘かに電話台の裏に仕掛けておいたボイスレコーダーを取り出した時、妻の表情が一瞬にして蒼ざめた。

後日、この男を相手に訴訟を起こした。
ビデオの動画、カメラの画像、そしてボイスレコーダーに収められていた男女の関係を証明する淫らな音声が証拠として採用され、その男は私に多額の賠償金を支払う羽目になった。
訴訟という勝負には私は勝った。
でも心が晴れること決して無かった。
当時のことが頭をよぎると10年経った今でさえ苦いものがこみ上げてくる。

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